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映画「ボヘミアン・ラプソディ」感想 ~凡庸な前半から感涙のラスト20分のライブ~

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今話題のボヘミアン・ラプソディを正月に見てきました!
公開後しばらく経っているのに大盛況。その感想を簡単に。

感想サマリー

タイトルどおり、クイーン及びフレディ・マーキュリーに対する予備知識がある人にとっては凡庸な前半から、不覚にもラスト20分のライブで溢れ出る涙がこらえきれず号泣。
上映時間の8割はラスト20分のライブの前フリ。
かつそのフリは非常に分かりやすくあざとさ丸出しの前フリ。
その策にまんまとハマっている自分に悔しがりながら泣く、という不思議な状態に。
細かい感情描写等はいまいちだと思うが、シナリオ構成と演技・音楽のリアリティを持ってして半強制的に感情を揺さぶられる映画でした。

 

雑感詳細

期待外れの前半

正直ライブが始まるまでの描写はテンポは良いものの深い心理描写や、新しい事実などもなく、ある程度イメージしていたフレディマーキュリー像が淡々と描かれているのみ。少しクイーンの知識がある人にとっては、知っている知識の再確認レベルでした

例えば、フレディがゲイであることに気づき始めるシーン。
アメリカツアー中に男前トラック運転手とアイコンタクト→謎の男性トイレのドアアップ。 分かりやすすぎてかなりチープ。

全体的に、こんな感じで描写がやけに説明的というか、チープな演出でレールに載せられている感が否めませんでした。

「あれ、この映画もしかして面白くない?」というのが頭にチラつきながら途中途中で入ってくるクイーンの楽曲でなんとかテンションが保っていた感覚でした。

フレディの人生全てが楽曲に憑依するライブパート

そんな前半で興ざめしつつある自分が、ライブが始まった途端一変。
フレディがボヘミアン・ラプソディを歌いだした瞬間、なぜかホッペタがひくついて来る。
あれ?
フレディが歌う歌詞全ての意味が感覚的に理解できて、もう涙がボロボロ出てくる。
それまでの自分の冷めた感情とのギャップに驚くと同時に、こんなあからさまな展開に泣いてしまう自分が悔しく、恥ずかしく、我慢しようとさえしていた。

なんとかボヘミアン・ラプソディを乗り越えて、涙も落ち着いた後、
そこからRadio GAGA, We are the championと曲が展開していく度に、毎回落涙。
それまでなんとなくしか聞いていなかったキャッチーなクイーンの曲と歌詞が映画を見た今全て心に迫ってきて感情を揺さぶって来る。
泣きたくないのに、涙がこらえきれない。
結局泣きっぱなしでライブからのエンドロールまで見終えてしまいました。
ここまでボロボロに泣かされた映画は久しぶり。
かつこんな、分かりやすすぎて泣きたくない!という気持ちの中、。こらえきれずに泣いたというのは初めての感覚。

 

分かっていても泣いてしまう仕組み

今振り返ると、映画の構成は全てラスト20分のライブに意味づけするための伏線。
それもあからさまな伏線。
フレディっていう人はこういう人でこういう背景があって、クイーンは喧嘩して、でもフレディ病気になって、またみんなで集まって、、、ていうのをホントに分かりやすいくら位に説明してます。そこが説明的過ぎて、あざとすぎて個人的には抵抗があった。

ただ構成が説明的で分かりやすく順序立ててあるが故に、視聴者の頭には否が応にもそのシナリオと背景は刷り込まれている。
そのため、ライブ開始時点では意識せずともフレディの心理とシンクロしている状態を作りあげたのかな、と。
その結果、ライブで流れる全て曲に、歌詞に、感情移入させられ、半強制的に”感動させらた”のだと感じる。

この映画はクイーンという伝説のバンドを傍観しているこれまでの視聴者目線から、
映画のほとんどの時間を費やしてクイーンの歌詞に込められた意味・背景を理解させ、解説して上げることで、観客の目線をフレディの目線へ転換させた。
そして視聴者にあの伝説的なウェンブリー・スタジアムでのライブエイドを疑似体験させるというコンセプトなのでは。

そしてそれを可能にしているのは、そのストーリー構成と各俳優の演技力、それと映画館での音響。
そして何よりも大前提として、あまりにドラマチックすぎるフレディ・マーキュリーの半生と感情を掻き立てるキャッチーな楽曲。

素材としてフレディの半生とクイーンの楽曲を、映画という手法で丁寧に解説することで調理してあげると、あまりに素材が素晴らしいのでそれは感動しちゃうよね、という仕組みなのかな、と。 

追伸:あまり感動していない嫁

ちなみに一緒に見に行った嫁はあまり感動せず淡々と見ていました。
面白かったけど感動はしなかったとのこと。

これは音楽映画に何を求めるかの趣向の違いではないか。

コンテキスト、ストーリー性を求める私と、エンターテイメントとしての華やかさ、ショーとしての壮大さを求める嫁。

だいぶ端折っていうと、グレイテストショーマンやララランドのような音楽エンターテイメント映画を求めて見てみたら、ただのリアリティあるクイーンのコピーバンドの演奏でした、というのが嫁の認識かな、と。

一方私としては今まで曲だけ知っていたクイーンの楽曲が、フレディの半生というコンテキストを得て、映像以上のリアリティを持って感情を揺さぶってくる。
あくまで映像と役者はそのための装置。
だが、その装置が役割を完璧に全うしているため見事にやられた、という感覚です。

 

以上、雑文になりましが映画を見た後の感想を思うままに書き下してみました。